プロフィール

こんにちは!

アーティストが「好きなこと」で「最高の人生」を手に入れるお手伝いをしています。

駆け出しのアーティストの先生
崖っぷちアーティストの駆け込み寺
【えいこ先生】こと、「濱守栄子」です。

私は、本業のシンガーソングライターの傍ら
写真家、絵画、彫刻、工芸、音楽、演劇、漫画家、書道家などの方々の

● 好きなことで収入を得たい
● 自分の価値をお金に換えることが出来ない
● ついついボランティアで引き受けてしまう

そんな悩みを救済すべくアーティストコンサルタントをしてきました。

出来る限り多くの方にアーティストとして自立し、生計を立ててほしい…

アーティストの方々ができるだけ早く、
確実に結果を出すためにはどうしたらいいかを日々考え、
10年の歳月を経て独自のメソッドを組み上げました。

それがこの「アーティストのためのセルフプロモーションオーダーメイドプログラム」です。

あなたが現在抱えている悩みや不安は
私自身が体験し、乗り越えてきたものです。

だからこそ、誰よりもリアルにあなた の現状の悩みに寄り添った手法をご提案し
二人三脚でじっくり支援することができます。

 

高校を卒業後は、銀行員でした

私は、高校を卒業してから、親の言われるがままに「銀行員」になりました。
母親が末期のがんだったので、安心させてあげたいという気持ちが大きかったからです。

しかし、その母が亡くなり、おじいちゃんが自殺
おばあちゃんも後を追うように病気で亡くなってしまい、

「人っていつ死ぬか分からない」
「後悔しない生き方をしたい」

と強く思ったのが、私が20代後半の時でした。

そして

ずっと夢だった「歌手になる!」という夢を叶えるために上京したのが29歳のことでした。

家族には反対されましたが、「3年で芽が出なかったら帰る」と約束をし、上京をゆるしてもらいました。

そのころは、「東京に行けば、いつかファンができる」「オーディションを受ければ、デビューすることができる」と信じてがむしゃらに歌っていました。

しかし、そんな夢物語が訪れることはありませんでした。

私は、ライブをしても一人もお客様を呼べないアーティストだったのです。
そして、芽が出ないまま約束の3年目が訪れました。

 

私の人生を変えた2011年3月11日

約束の3年目。それがあの東日本大震災のタイミングでした。

いつでも帰れると思っていた場所が急に帰れない場所になってしまいました。

私は、
自分だけあたたかい布団で眠れること
ご飯を食べれること
電気が付く家に住めること…

そして

自分だけ助かってしまったことに、なぜか罪悪感のようなものを持っていました。

そして、
「私でも何かできることはないか?」
「できれば、自分の得意な音楽で恩返しがしたい」

そう、思うようになりました。

それから私は、ふるさとの復興を願い、路上ライブを開始しました。
そして、CDの売上や募金を義援金としてふるさとに寄付を続けました。

騙され続ける日々

「はまちゃん頑張っているからご褒美のライブを企画するよ!」

そういって1000人も入る会場を予約してくれた支援者がいました。
議員さんの友人がいるそうで、その人に頼めば1000人の集客が可能とのこと。

私は、頑張ってきたから、神様がご褒美をくれたと信じて疑いませんでした。

ところが、告知も開始し、チケット販売を開始した直後から
その人と連絡が取れなくなりました。

私は、主催者に逃げられてしまったのです。


そのタイミングで私はある事務所のオーディションを受けに行きました。
私のことを気に入ってくれて、晴れて契約を結ぶことになり
多額の入所金を納めました。

コンサートもサポートしてくれる約束を交わしました。

しかし、のちに分かったことですが
その事務所の住所は、なんと「道路だった」のです!!

 


裏切られて傷ついていた私に、岩手の音楽事務所が手を差し伸べてくれました。

しかし、そこはブラック企業
支払う約束だった給料は払ってもらえず、お休みもいただけませんでした。

私はノイローゼになり、毎日わけもなく涙が流れるようになり
挙句、声が出なくなってしまいました…。

 

そう、私はなんと、
立て続けに3か所の事務所(人)に騙されてしまったのです。

もちろん、その人たちを引き寄せてしまったのは、自分の責任なのは分かっていました。
私は、自分自身を責めるようになっていったのです。

 

もう、事務所にも誰にも頼らない。

すっかり人を信じることができなくなった私は、もう自分の力だけでやりきる!と決断しました。

そして、自己投資を開始。

自己啓発のコミュニティでマインドを、
起業塾で具体的なマーケティング手法を学ぶようになりました。

そこで学んだことを実践していくと
不思議なことに少しづつ、
歌や作曲のお仕事をいただけるようになりました。

そして、だんだん単価を上げられるようになり
どんどん紹介いただけるように。

特に営業しなくても口コミだけでお仕事が入ってくるようになってきたのです!

集めていた義援金は1000万円を超え
本を出版することも成功。

ファンの応援により
コロナ禍でも音楽活動だけで生きていくことができました。


コンサートを開催すれば、常に満席。

CDが売れないと言われているこの時代でも
CDの売り上げだけで
「日本一周 第二弾」を達成
することができました。

今は、学校で歌わせていただいたり、作曲のお仕事をいただけたり
イベントに呼んでいただけるようにもになり

音楽だけで生きていく最高の人生を手にすることができました。

 

なぜセルフプロモーションプログラムを作ったのか?

私は30歳を過ぎてからピアノを習いました。
だからこそ、「やりたいことはいつ始めても遅くない」ということと
「夢を叶える楽しさ」を歌にのせて伝えています。

しかし、夢を叶える具体的な手法が分からずに、
あきらめてしまうアーティストがたくさんいます

私自身も過去には、お金が理由で諦めてきた「たくさんのこと」があります。

例えば、

✅CD制作
✅ミュージックビデオ制作
✅書籍の出版
✅グッズの制作
✅大きな会場でのコンサート…ETC

全て、お金が理由で手に入れることをあきらめていました。

でも違ったのです!

 

お金がないなら、作ればいい(集めればいい)だけだったのです!

 

試しに私の知人アーティストにこの手法を取り入れてもらったところ
85万円の資金を集め、本を出版することができたのです!

他にも数名にやり方を教えたところ
全員が達成してしまったのです!

つまり、私のこの独自のメソッドは

100%再現性のある手法なのです。

できないことを並べるより
できることを見つけていく。

これが、セルフプロモーションプログラムの醍醐味です。

 

あなたへのメッセージ

今私は、自分の表現したい歌を歌ったり、ステージで講演をしたり、本当にやりがいのある仕事ができています。
やりがいがある仕事をしながら、対価をいただき、「ありがとう」と言っていただける。
こんな素晴らしい仕事は他にありません。

ですが、私も数年前までは、自分の歌には価値がないと思い込んでいました。

音楽業界という、ブラックな業界では、音楽の才能があるのにそれを食い物にする悪徳プロダクションが多いです。音楽の才能があるのに、「プロデュース」ができずに辞めていくアーティストを何人も見てきました。

そんな、過去の私のような人を救いたい。

10年前の私が、今の私と出会っていたなら
しなくてもいい苦労はしなかったと思いますし
ここまで遠回りすることもなかったと思います。

一人でも多くの「才能の原石」がダイヤモンドのように光り輝き
さらに周りをも輝かせる。

そんなアーティストを育てていきたいです。

人は誰もがアーティストですから。

 

濱守栄子

 

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